「即位・大嘗祭違憲訴訟(第2次差止訴訟)」不当判決に抗議する

「即位・大嘗祭違憲訴訟(第2次差止訴訟)」不当判決に抗議する

即位・大嘗祭違憲訴訟の会
即位・大嘗祭違憲訴訟弁護団

2021年11月17日

 本日、東京高裁小野瀬厚裁判長は、「即位・大嘗祭違憲訴訟(第2次)」の分離された《人格権に基づく差止請求の訴え》に対し、本年3月24日、東京地裁鈴木昭洋裁判長が言い渡した不当な却下判決をそのままに認める控訴棄却を言い渡した。

 私たちはこの不当判決に対して強く抗議するものである。

 そもそも、この《人格権に基づく差止請求の訴え》とは、私たちが一体のものとして提起した国家賠償請求と違法支出差止請求を、東京地裁が不当にも国家賠償請求と支出差止請求とに分離し、東京地裁古田孝夫裁判長が差止請求を却下。私たちの控訴に対し、東京高裁足立哲裁判長が原判決破棄・差し戻しを判決したところ、東京地裁差戻審が、《納税者基本権に基づく差止訴訟》と《人格権に基づく差止訴訟》とにさらに勝手に分離、《納税者基本権に基づく差止訴訟》は一度の口頭弁論も開かれないまま、東京地裁が却下・東京高裁も控訴棄却で確定してしまい、《人格権に基づく差止訴訟》も東京地裁鈴木昭洋裁判長が不当に却下したため、本日の東京高裁小野瀬厚裁判長の控訴棄却判決となったものである。

 そもそも、日本国憲法は第76条第2項で「特別裁判所は、これを設置することができない。」と定め、大日本帝国憲法下の行政裁判所を否定したのではなかったのか。また、国の行為について住民訴訴訟を提起できないのは法の欠缺といわなければならない。

 本不当判決の論理は、諸儀式は「個々の国民」に向けられたものではなく、たとえ宗教的感情を害するものであったとしても、「具体的権利侵害」はないとするものである。諸儀式が個々の日本国に居住する人間に向けられたものでないならば、なぜかように多額の国費を費やしてこのような儀式を行なう必要があるというのか。儀式を行なう側は、その効果を認識しているからこそ行なうのである。政府の式典委員会は「各式典が、国民こぞって寿ぐ中でつつがなく挙行できるよう」に協力を求めていたし、「国民こぞって祝う」という首相の言葉は新聞やTVでもよく読まされ聞かされた。また、儀式を賛美する言論はメディアを通して報道され続けた。これは祝うのが当然という「教育」であり、祝意の強制であり、このような国の儀式にはこの国に生きる者の信教の自由も、思想・良心の自由も保証されない。「思想の強制などで直接不利益を受ける」ような事態にならないように、国の行動を規制することが裁判所の役割ではないか。

 我々は、東京高裁小野瀬厚裁判長の本件不当判決に対し強く抗議するとともに、併合された第1次請求と第2次請求の国家賠償請求部分において、裁判所の真摯な対応を求め、さらに闘っていくことを宣言する。