「即位・大嘗祭違憲訴訟(国家賠償請求裁判)」高裁判決が決定

「即位・大嘗祭違憲訴訟」の高裁判決期日が決定!
すべての原告と、この裁判に心を寄せる方々の結集を呼びかけます!

 「即位・大嘗祭 違憲訴訟の会 NEWS」24号で報告いたしましたように、2024年11月12日に行なわれた「即位・大嘗祭違憲訴訟」の控訴審第一回口頭弁論において、東京高裁の谷口園恵裁判長は、審理を5人の意見陳述のみとして打ち切りました。そして、この形式的で不当な裁判の進行に対する私たちの正当な怒りに基づく「裁判官忌避」の申し立てには耳を傾けずに、申立てが弁論の終結つまり結審後であるとしました。その後、却下決定を行なったうえで、一方的に判決期日を押しつけてきたのです。
 高裁判決の期日は、

2025 年 2 月 28 日 14時から 東京高裁101号法廷
とされました。

 みなさまの高裁判決への傍聴を呼びかけます。ぜひともご参加ください!

 

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.24

即位・大嘗祭違憲訴訟の会のニュース24号です。
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天皇のこととなると物も言わせぬ
控訴審第 1 回弁論で一発結審の構え、裁判官忌避を申し立て

 今年 1 月 31 日に東京地裁で棄却判決を受け、2 月 14日に東京高裁に控訴。それから約 9 カ月後の 11 月 12 日に控訴審第 1 回口頭弁論が開かれた。控訴してからの 9 カ月は、産みの苦しみのような期間だった。弁護団は何度も会議を重ねて、あの粗末な地裁判決の欠点を指摘するべく控訴理由書をまとめ上げ 7 月 22 日に提出した。地裁判決の要点は、「政教分離は制度的保障であって人権保障規定ではない。だから信教の自由を直接保障したものではない。ゆえに政教分離に違反する行為があっても、直接信教の自由を侵害しない限りはただちに違法となることはない」というもの。「憲法違反も違法ではない」という変な理屈。しかしこの判例ですら、「直接に権利を侵害している場合は違 法である」としていることになる。また、直接に侵害していない場合であっても「ただちに違法であるとは言えない」としながらも「違法ではない」とは言っておらず、違法な 場合と違法ではない場合があることを前提としている。政教分離違反であっても、直接に侵害する場合であるかを厳密に調べて、もし直接に侵害しない場合であっても「違法」の場合と、「違法ではない」場合を判断しなければならないはず。このような段階的な判断を何らしないで、「制度的規定にすぎない」の一言で全てを無条件に棄却した。この雑な取り扱いを、控訴理由書では指摘した。それと同時に、戦前の宗教弾圧の事例を具体的に取り上げ「直ちに権利の侵害は認められない」とは決めつけられないことを立証するよう的を絞って取り組んだ。控訴代理人が提出した準備書面 1 は、50 頁に渡る膨大かつ詳細な論考。国家神道体制が果たした役割について、それがいかに個人の権利に実質的な被害をもたらしたかを例示した。これに対する被告(国)側の「答弁書」が 10 月 29 日に出たが、僅か 10 頁程のもので、「(控訴人は)原判決の判断内容に誤りがある旨 縷々るる 主張するが、その内容は、いずれも原審における主張の繰り返しか、あるいは、控訴人ら独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、それらの主張に理由がない」というもの。地裁判決を徹底擁護し、しかも、国家神道体制が宗教弾圧という権利侵害に至った歴史に対しても「原判決を左右するものではなく、認否反論の要を認めない」と片付けた。この人たちは歴史の反省は皆無なのだと思った。
 第 1 回口頭弁論は 11 月 12 日に定まり、控訴人側は、即日結審の可能性があるも、そうはさせないために、専門家証人の人証を要求し、控訴人の主張が続々と続く長期戦の準備をした。裁判所側は口頭弁論当日に 5 人の意見陳述を認め、それなりの時間は確保してくれたかに思えた……が。始まって見ると、その進行は何とも形式的。「では、次の控訴人」「次どうぞ」とビジネスライク。
 5 人の控訴人は、限られた時間の中で、即位儀式から受けた不条理を訴えた。記紀神話に基づく儀式を国家行事として公金を使って行う異常さ。たかだか 80 年の意図的に造られた習慣を、「古来からの伝統」として全市民を巻き込む理不尽。天皇のこととなると裁判でも訴えられない仕組みを作り出し、警察も尾行・嫌がらせ、何でもありとなる異常さ。大嘗祭においては天照大神が寝る布団、神々のためのスリッパに至るまで大真面目に神話儀式に公費を使うことがまかり通り、憲法違反も許されること。神道儀式においても、それを採り行う神職にとっては大事な宗教行事のはず。それを「社会的儀礼・伝統行事」として片付けてしまうのは、宗教者にとって失礼であること。政治的な権威を持たないはずの「象徴でしかない」天皇が、一度退位の意向を語れば、政府も国会も一斉にその意向をかなえるために動く異常さ。憲法違反を問う裁判も、天皇の儀式となると審議すらさせず門前払いとなる仕組みをつくるおかしさ。五人が意見陳述する主張は、この日本社会で大手を振るって行われている矛盾を暴露する重要なものだった。
 谷口園恵裁判長は、意見陳述が終わると、もうこれ以上は主張は不要だと片付けようとした。被告(国)側代理人に、「侵害利益が認められない以上、これ以上の意見も、立証も不要」と言わせ、裁判長も、「従前の主張の繰り返しに過ぎない」とし、結審に持って行こうとする。控訴側代理人は、そう簡単に結審に片付けさせてなるものかと、裁判官の忌避申し立てを行うが、裁判長は「もう結審を宣言した後だから、結審後の忌避申し立てを勝手にしたらいい」と譲らない。次回の日程も調整せずに、さっさと 3 人の裁判官は奥に逃げ込む。傍聴席からも、突然の結審に何が起こっているのかも分からない不満だけが残り、「不当だ」「おかしいぞ」との声が響いた。第 1 回目口頭弁論だけは、まあ控訴人の意見を聞いた体裁を形式上は採る。しかしもうそれ以上は何も言わせない。とても民主法廷とは程遠い、国家権力の鉄の扉を今回も痛感した。後は判決だけとなってしまった高裁。最高裁では口頭弁論さえ開かれない。天皇のこととなると、物も言わせない空気となる。日本の矛盾を象徴するような口頭弁論となってしまった。

(事務局/星出卓也)

 

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.23

即位・大嘗祭違憲訴訟の会のニュース23号です。
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 控訴審第 1 回弁論は 11 月 12 日

正義は我にあり

 2018 年 12 月に提訴した私たちの裁判は数奇な経緯をたどりました。私たちが一体のものとして提起した差止と国家賠償請求を裁判所は勝手に分離し、差止については、東京地裁など大規模裁判所にのみ設置されている行政部の担当とし、そして、口頭弁論を開くこともなく、私たちの請求を却下しました。第 2 次訴訟についても、同様に差止と国賠を分離し、差止について、納税者基本権と人格権についてさらに分離するなどの違いはありましたが、納税者基本権に基づくと裁判所が判断した訴えについてはやはり口頭弁論を開くことなく却下とされました。
 そして、国家賠償請求が地裁で今年 1 月 31 日に棄却されたことにより、今、私たちは控訴審に取り組むわけです。この裁判の流れを考えるだけでも、日本における天皇制の強さ、主権在民の弱さを感じてしまいます。本来、民主主義国家における裁判は、それが建前であるとしても、対等な当事者が弁論を闘わせ、それを聞いて主権者の代理人である裁判官がどちらの言い分が正しいか判断するというものであるはずです。しかし、現実には書面を提出させ、それを裁判官が読んで、上から判断を下す、裁判権も行政権も天皇に由来した大日本帝国憲法下の天皇制国家のように、行政訴訟は別個のものとし、庶民には行政に文句を言わせない。そんな姿が浮かんできます。
 身分制を廃止したはずの日本国憲法に、1 条から 8 条までの天皇制規定が残り、そしてそれを多くの人々が疑問に思わない社会になっています。30 年前の「代替わり」の際には、何千という人々が「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟に取り組みました。私たち事務局の弱さもありますが、現在の控訴人の数は 30 年前の即大訴訟参加者と桁が 1 桁違います。皇位継承者が東大に推薦入学で入るかもしれないということには少し騒いでも、そもそもそんな子(成人したようですが)が「様」付けされて、ニュースで報道されること自体を不思議に思わない社会です。
 82 億の人々が暮らす、200 近い国があるこの地球の上で、10 カ国ほどだけが王制を持っていて、世界の大多数の人は王制などなくて当たり前に暮らしているのに。多くの国では民衆の力で王制を廃止したのに。
 私はもちろん、天皇制廃止論者ですが、1 条から 8 条までを有する現日本国憲法下での闘いは、その憲法を守らせることだと思います。「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行」え!(第 4 条)。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束され」ろ!(第 76 条第 3 項)
 日本の中では我々は少数に見えるけど、世界の中では我々(王様を認めない者)が多数です。正義は我にあり!

(佐野通夫)

 

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.22

即位・大嘗祭違憲訴訟の会のニュース22号です。
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  控訴審を前に──
即位・大嘗祭違憲訴訟の会 8/31 集会に集まろう!

 即位・大嘗祭違憲訴訟の会事務局と弁護団は、今年 1月 31 日の一審判決における判決言い渡しのありさまと、その内容のあまりの粗末さに呆れ、怒り、即刻控訴に踏み切りました。
 控訴審に向けて弁護団はいま、その準備で大奮闘中です。1審で展開された政教分離原則違反、信教の自由の侵害、思想及び良心の自由の侵害、主権者としての地位(国民主権)の侵害、納税者基本権の侵害等々に対する不当すぎる判決の、どこをどのように突いていくのか、あるいは新たな論点の模索や、1審における原告側の主張の強化など、議論が続いています。
 たとえば権利の侵害について、原告と裁判所とではその認識のあり方に大きな齟齬があります。それはど素人の私にもよくわかります。この全く別の概念で権利侵害を考えている裁判所に、こちらの主張を認めさせるためにはどのような論理の組み立てが必要であるのか、等々です。
 控訴理由書は6月末提出の予定で、控訴審は秋から冬にかけて始まるのではないかと予想されています。
 その弁護団の頑張りに呼応し、事務局ではこの裁判を元気に推し進めていくために集会を開催しようと準備を始めました。控訴人・支援者のみなさん、そしてこの裁判を知る人知らない人、大勢の人に集まってもらえる集会を目指します。集会の内容的な詳細についてはまだ決まっておらず、これから相談していきます。
 私としては、一つは原告・控訴人の思いを集会参加者とともに共有していく場にできればと思ったりします。原告・控訴人の思いは、原告・控訴人の数だけさまざまですが、控訴審を迎えるにあたって、なぜ私たちはこの訴訟の趣旨に沿った意思を公に表明するのか、参加者とともに共有できるような場になるよう、提案していきたいと思います。
 また、政府はいま、天皇制の安定的な維持を目指し、「皇族数確保策」として旧宮家の男系男子を皇族として養子にしたり、女性皇族が結婚しても皇族の身分を保持するといった政府案を出し、法改正に向けて動き出しています。それは将来の天皇代替わりを滞りなく迎えることを目的としたもので、即位・大嘗祭に国が関わることを違憲とする本訴訟のテーマに繋がっていく課題でもあります。こういった現在進行形の天皇制を考えるための議論にもつながるような集まりにできればと、欲張ってみたりもします。
 日本の侵略・植民地主義政策の歴史の問題、あるいは天皇制が社会に浸透させている差別意識や実際のさまざまな差別状況の問題などを考えれば、天皇制が続くことには疑問しかありません。あるいは天皇制の世襲原則による非民主的で基本的人権を無視した主権在民規定不在の状況や、信教の自由、思想・良心の自由、そしてそれらを表現する自由を侵害する天皇制には、反対するしかありません。この訴訟は、そういった天皇制のさまざまな問題を公的な場で問う裁判でもあるわけですから。
 しかし、天皇制に対する異議申し立てがなかなか難しいこの社会にあって、この訴訟は、政府に追随し一体化しているとさえいえる司法との闘いでもあります。弁護団はこの司法に果敢にたたかいをいどみ、そのための論を練り上げています。
 控訴審を元気に闘っていきたい。ぜひ、この裁判と天皇制の問題を考える集会にお集まりください。詳細については近日中にご案内します。ご参加を!

(桜井大子・事務局)

 

抗議声明・「即位・大嘗祭違憲訴訟(国家賠償請求裁判)」不当判決に抗議する

抗議声明
「即位・大嘗祭違憲訴訟(国家賠償請求裁判)」不当判決に抗議する

 本日、東京地裁民事第 6 部・中島崇裁判長は、「即位・大嘗祭違憲訴訟」の国家賠償請求事件部分に対し、棄却判決を言い渡した。
 私たちはこの不当判決に対して強く抗議するものである。
 私たちが提起した本訴訟は、2019 年に強行されてしまった「即位の礼・大嘗祭」をはじめとする一連の天皇の「代替わり」儀式が、日本国憲法の政教分離、主権在民原則に対する重大な違反行為であることから、「納税者基本権」と「基本的人格権」に基づいて、一連の儀式への違法な国費支出差し止めと、当該儀式がもたらす人格権侵害に対する国家賠償を求めて、2018年に提訴したものである。これに、「代替わり」関連の儀式である 2020 年の「立皇嗣の礼」についても新たに提訴し、本訴に併合された。
 しかし裁判所は、私たちが一体のものとして提起した裁判を勝手に分離し、とりわけ「納税者基本権に基づく差止訴訟」部分に関しては、一度の口頭弁論も開かれないまま、却下・棄却させられてしまった。そして、「人格権に基づく差止訴訟」部分も棄却され、残りの「国家賠償請求」部分の判決が、本日言い渡されたのである。
 私たちは、何よりも国の行為について住民訴訟を提起できないことは、法の欠陥といわなければならない。
 国側は、本件諸儀式は「個々の国民」に向けられたものではなく、たとえ宗教的感情を害するものであったとしても、「具体的権利侵害」はないとする。諸儀式が個々の日本国に居住する人間に向けられたものでないならば、なぜかように多額の国費を費やしてこのような儀式を行なう必要があるというのか。儀式を行なう側は、その効果を認識しているからこそ行なうのである。
 政府の式典委員会は「各式典が、国民こぞって寿ぐ中でつつがなく挙行できるよう」に協力を求めていたし、儀式を賛美する言論はメディアを通して報道され続けた。社会的な同調圧力が大きく作りだされたのであり、まさしく祝意は強制されたのである。
 こうした国の行動を規制することが裁判所の本来の役割であるにも関わらず、裁判所は国の主張をそのまま追認し、内容に踏み込まず形式的な判断を下した。
 我々は、本件不当判決に対し強く抗議するとともに、あらためて裁判所の真摯な対応を求め、さらに闘っていくことを宣言する。
 
   2024 年 1 月 31 日
           即位・大嘗祭違憲訴訟の会
           即位・大嘗祭違憲訴訟弁護団

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.21

即位・大嘗祭違憲訴訟の会のニュース21号です。
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即位・大嘗祭違憲訴訟判決言渡し
秒殺判決、憲法判断なし、内容なし

 1 月 31 日(水)、「即位礼・大嘗祭違憲訴訟」東京地裁判決が第 103 号法廷で言い渡されました。判決は秒殺ともいえる、ほんの数秒で片付けられてしまいました。「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の自己負担とする」、以上。時間にして 5 秒もかからず、3 名の裁判官はさっさと退場。報道向けの映像撮影の時間の方がよっぽど長く、まさに吐き捨てられたような判決でした。これが 5 年も闘ってきた結果か、と思うと疲れがどっと出る一時でした。
 それでも判決内容を注意深く読めば、憲法判断などが少しでも次の足掛かりとなるものが残されているかとの期待も見事に裏切られて、読むだけ損したような内容無し、憲法判断もなしの空っぽ判決でした。判決要旨を記者会見用にコピーに走りましたが、コピーする価値もないような残念判決でした。1 か所を抜粋すると以下の通り。
 「政教分離原則を定める憲法の規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、私人に対して信教の自由を直接保障するものではなく……国家と宗教との分離を制度として保障することによって間接的に信教の自由の保障をしようとするものであって……、政教分離原則に違反した国の行為が直ちに私人の信教の自由を侵害したということもできない……」
 何とも煙に巻かれたような、何を言いたいのかも不明な空っぽの判決でした。
 この 5 年間、主張するのは原告側ばかりで、被告の国側は、何も言わない、何もしない、主張すらしないが一貫していました。原告側の準備書面は毎回 100 頁を越える超大作。しかし被告側はほぼ準備書面を出さない。出しても紙ぺら 1 枚か 2 枚のお粗末なもの。「この点は争う」と被告側は準備書面には書きながらも、争った形跡すら残しませんでした。原告の本人尋問にも、何一つ反対尋問すら一言もなかった。被告側代理人はただ座っていただけで、「追って書面で回答します」と言うだけ。まともな回答をしないまま、だんまりを通しました。あの何もしない余裕の態度は、どうせ裁判官が、さっさと却下してくれるだろうから、何もしないのが一番、と高を括った態度でした。被告側の代理人の希望通りに、裁判所は憲法判断すらしませんでした。まるで被告国と裁判所で申し合わせたような見事な連係プレーを疑うのは私だけでありましょうか。この国の司法の独立はいつから葬られてしまったのか。三権分立ならぬ、三位一体になってしまったのか……。
 裁判所前に出された垂れ幕は「不当判決弾劾!」「控訴審で闘おう」。準備していた通りが役に立ってしまった何とも言えない悔しさを胸に、控訴審の委任状を整理しました。見通しが全く見えなくとも、これでやめるわけにはいかないのです。おかしいことをおかしいという人がいなければ、おかしいことが認められたことになってしまうのです。当日の報告集会は 30 名以上の原告たちが熱い論議を交わしました。同じ不屈の思いを込めた控訴委任状が一つ一つ届くごとに、思いを共にする人々との繋がりにとても励まされました。と同時に亡くなられたあの方、この方の原告の名前を見る時に目頭が熱くなりました。委任状を出すことが許されなかった名前を見るたびに「私の分も頼んだよ」と言われたように思いました。
 控訴審に良き足掛かりを残せることを祈って、聖書の一節に思いを託して終わります。
 「これらの人たちは信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました」(へブル人への手紙 11 章 13 節)。

 

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.20

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即位・大嘗祭違憲訴訟結審
来年 1 月 31 日、判決言い渡し

 いまはもう遠い昔でもある裕仁から明仁への代替わり過程は、とんでもなく強圧的なこの日本国家の政治や社会体制を、否応もなく感じさせるものでした。多くの人びとをさまざまな経過で死に追いやった天皇は、自らの死に臨んでも意味あることを語らず、隠蔽と虚飾の代替わりを迎えました。
 明仁はこの代替わりの経過を好まなかったようで、自分の死による代替わりでなく意識的な「退位」による天皇の地位の移譲をはかりました。それが今回の明仁「平成」から徳仁「令和」への代替わりのプロセスでした。前回のような社会全体への強制は影を潜めたが、しかし今回もまた、政教分離や人民主権などに反する違憲・違法な儀式が挙行されるのは明らかであったので、多くの人びとがこれを差し止めようとしたのがこの訴訟であり、その後、代替わり儀式の強行に対する国賠請求も加えて一体のものとして取り組まれたのです。多くの原告の思いをぶつけていく内容が繰り広げられたことで、自分にとって、学んだこともまた幅広くかつ深いものだったと感じます。
 とはいえ、5年の長きにわたる裁判で、10 月 11 日に行われた当裁判の結審に集った原告の数は、それほど多いものではなかったのは仕方がないことながら残念でした。
 今回は、原告代表として佐野通夫さんが意見陳述を行いました。概略は以下の通り。
1、裁判所が代替わり差し止め訴訟を弁論も抜きに門前払いで敗訴させたことへの抗議。
2、今回の「即位」が、明仁のビデオメッセージにはじまり、これを受けた天皇に対するキテレツな敬語にまみれたいわゆる「退位特例法」の制定によって形づくられたことへの批判。
3、「即位の礼・大嘗祭」が憲法における政教分離と主権在民原則に反するものであることへの批判。
 陳述のなかの白眉は、ほんらい天皇に可能な法的行為は、憲法上の国事行為とされるもの以外にはないにもかかわらず、「象徴としての行為」なるものを明仁のコトバのままに認定していることの問題性・危険性を述べたところです。「象徴天皇」の役割・機能は、きちんと制限されねばならず、例えるならば「おさるの電車」のサルのようなものとして勝手な行動をとることは許されないとしました。この意見陳述では、大日本帝国憲法において天皇が有した権力が不正に行使された例として、関東大震災に際して緊急勅令として発された戒厳令がきわめて悲惨な虐殺までもたらしたことを例示しつつ、天皇の権力の歯止めを緩め外そうとする動きに対して厳しい批判と警告を発しました。
 引きつづきなされた弁護団の意見陳述では、「世襲」天皇の「儀式」である即位礼・大嘗祭が、正しく公的な意味を持ち、宗教的にも問題のない「国家儀礼」とされていることへの批判がなされ、この裁判の判決が、明確な違憲性の指摘という憲法判断を含むものでなくてはならないということが強調され、司法が行政に対するチェック機能を果たすべきであるという指摘で結ばれました。
 裁判の後、報告集会が持たれ、この日の要点が説明されました。その場での傍聴参加者からのメッセージを端折りながらいくつかご紹介します。
力の出る法廷でした / 被告側反論はついに無くてさびしい限り / (原告・弁護団の陳述は)すばらしい憲法論だったと思います。人民の側に立った憲法論を発展された / 陳述、弁論は大変力強い。論旨的にしっかりした論述に感銘を受けました / 今回の陳述を今後の活動に大いに活用したいと思いました / 国側の反論を聞けなかったことは残念。裁判所が、国側の反論を何も聞かないで判決言い渡しをすることは異常 / ……国家権力の暴走を止める運動に敬意をささげます / 皆様お疲れ様です。陳述すばらしかったです。象徴天皇の『象徴』とは、お猿電車の猿や、猫のタマ駅長の役割に近いということ、なるほどでした
 1月 31 日 15 時、地裁 103 法廷での判決に多くの原告が集まられることを!

 

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.19

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いよいよ最終弁論、結審へ
第 17 回口頭弁論に集まろう!

 2018 年 12 月 10 日に東京地裁に提訴した「即位礼・大嘗祭違憲訴訟」も 4 年半の年月を経て、今年 2023年 10 月 11 日午後 2 時開廷の第 17 回口頭弁論にて結審となります。
 この 4 年半の裁判を振り返って、不可解なことが沢山ありました。一つは裁判所の謎の対応です。この裁判は、幾つもの訴訟に分かれ、分割されたという不思議な道を辿りました。幾つも分割されたのでフローチャートを作成しなければ今回の口頭弁論はどこの裁判のどの段階を審理するものなのかが理解できないほどでした。
 当初提訴した内容は、即位の礼・大嘗祭等の差止と、即位の礼・大嘗祭等に国費を支出することに関する国賠訴訟の両方で、この事件は一般事件を取り扱う民事10 部に係属することになりましたが、提訴からわずか10 日後に裁判所より「差止訴訟に関しては分離されたのでお知らせする」との連絡があり、差止部分は行政裁判を扱う 38 部に係属するとの突然の連絡。私ども原告側は、一体として裁判を進める方針であったので、行政部で一般事件を扱えるので 38 部で併合審議してもらいたいと 1 月 15 日に申立書を提出するもなかなか返事がない。すると突然に 2 月 5 日に民事 38部から「本日、却下の判決を下した」という連絡が届き、一体何のことかと呆気にとられました。一度も口頭弁論が開かれず、判決すらも紙切れ一枚が郵送で届く。却下とは、手続き上明白な瑕疵がある場合に門前払いを食わす手続きとのこと。今回は手続き上の瑕疵など何もありません。
 その後も高裁に控訴、最高裁に上告するも 4 月 17日に高裁控訴棄却、10 月 1 日に最高裁は上告棄却と、あっという間に即位礼正殿の儀や大嘗祭が始まる時に片付けられてしまいました。即位礼が行われる時に差止を争うなど面倒なことにならないように、早急に片付けて、即位礼が始まる時には差止の裁判が話題にならないようにという、政府と裁判所が一体の策を練ったと疑わざるを得ないような対応を手続き論でやられたという感じでした。裁判が分離された、という時点で、いやな予感でしたが、そういうことだったのかと思いました。
 ちなみに差止は第二次訴訟も並行して争われて、こちらも地裁は口頭弁論も開かれずに却下、「畏れ多くも即位礼を差し止めるなどケシカラン」との意図を感じました。高裁もスピード感をもって片付けられるかと思いきや、二次訴訟高裁は、一応は口頭弁論を開きましたが一回で結審。しかし 2019 年 12 月 24 日の高裁判決は「地裁原判決を破棄差し戻し」を求めました。私はさすがに仕事柄 12 月 24 日クリスマスには裁判所には行けませんでしたが、この裁判での唯一のグッドニュースでした。理由は「人格権に基づく請求については判断していないので、手続き上法令違反にあたる」とのこと。手続きを問題にしただけのこととのことですが、スピード棄却されるよりはましでした。しかし、その後、幾つも訴訟が分離される複雑怪奇な道を辿りました。裁判所はコロナ禍を理由に裁判を開かない。そうこうしているうちに、あらゆる儀式が終わり、差止めどころではなくなる。唯一残った立皇嗣の礼だけが首の皮一枚繋がった差止対象でした。そのため原告側も 、 立皇嗣の礼が終わると差止めの事実そのものが無くなるため、腰を落ち着けた論戦ができないまま終わりました。変な手続きで真綿に首を絞められた感じでした。
 もう一つは、被告の国が何も主張しないこと。何も言わない、何も論じない。放置しておけば、裁判所は却下してくれると高を括っているのと、論議すればするほど国が宗教行事をしている問題が明らかになり分が悪くなるので、原告本人尋問でも何も問わない、何も聞かない。かくして地裁は結審を迎えます。状況が良くても悪くても、諦めるわけにはいかない戦いを終わりまでご一緒に見届けましょう。

 

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.18

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原告 12 人、本人尋問で裁判所に迫る
第 15・16 回口頭弁論報告

 5 月 31 日(水)、6 月 21 日(同)の両日、それぞれ約 2 時間半の枠をとって、合計 12 人の原告が、弁護団の質問に答える形で、直接裁判長に自分の意見を表明する「原告本人尋問」がおこなわれました。
 証人関係にたいする裁判所の姿勢は、専門家証人(ないし補佐人)ならびに当事者以外の被害証言者に関しては却下、原告本人については申請した 17 人のうち、12人を採用するというものでした。前者に対しては、弁護団はもとより、原告団としても「学者証人の採用を求める申入書」を、5 月 22 日に裁判所に対しておこないましたが、6 月 21 日の弁論で裁判所は、申請却下を正式に宣告しました。
 前回お知らせしたとおり、原告本人尋問の 1 回目は宗教者など、政教分離や内心の自由の侵害という視点が強く押し出される内容になり、2 回目(6 月 21 日)は象徴天皇制論や運動の現場における弾圧(公安のつきまといなど)被害の実態などが前面に出る内容となりました。
 本人尋問の実施をふまえ、原告としては最終意見陳述に臨むことになり、本裁判の終結も見えてきました。この 2 回の法廷は、満員とまではいきませんでしたが、ここ何回かに比べれば多くの傍聴があり、報告集会も立ち見が出ました。引き続き傍聴をよろしくお願いします。
● 5 月 31 日(第 15 回口頭弁論)
原告
 森田麻里子
 小畑太作
 鳥谷治彦
 木村眞昭
 渡辺真哉
 星出卓也
● 6 月 21 日(第 16 回口頭弁論)
原告
 井上森
 天野恵一
 根津公子
 岡田良子
 新孝一
 桜井大子

即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.17

即位・大嘗祭違憲訴訟の会のニュース17号です。
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原告 12 人の本人尋問(2期日)決定
第 14 回口頭弁論報告

 2 月におこなわれた第 13 回口頭弁論において、弁護団は原告・学者・被害当事者証人についての人証申請をおこなった。そのときのやりとりでも、すでに意向としては示されていたことだが、中島崇裁判長は、原告本人の証人尋問は認めるが、学者およびその他の証人に関しては「陳述書」で十分であり、直接口頭での証言は必要ないという姿勢に終始した。
 弁護団では、引き続きそれらの申請を要求するとともに、学者専門家について、「原告補佐人」という形であらためて申請するという手段をとった。専門家がその知見をもって、原告を「補佐」することができる制度を使おうということであり、他の裁判では採用されたりしているそうだ。これに対して被告・国側は早々に、それは原告に「障害」があるとか、知財関係の事件など特別な事情がある場合に限られるとの、きわめて狭い解釈をして、今回の件では不要であるとの上申書を出してきた。
 そうした流れの中で、4 月 7 日に、裁判官、被告代理人、原告代理人と原告当事者が一堂に会して進行協議がもたれた。
 私たちはそこで、17 人の原告当事者の尋問と、あわせて 3 人の補佐人の陳述を求め、原告当事者の尋問だけでも、3期日は必要であるとした。補佐人に関しては、裁判長は「本件においては必須ではない」「採用については裁判所の裁量」と言う。弁護団は、民訴法の条文や研究書において、そのような狭い解釈がとられていないはずだと抗議。また、原告からも「書面で十分だと言うが、法廷の場で、口頭で主張を述べることに意味がある」と反論。最終的に裁判所は、「合議はするが難しい」という立場を崩さなかった。
 原告本人の尋問に関しては、一回 150 分(原告側尋問130分、反対尋問および手続き関係20分)で2期日、その枠内で人選するということで、ほぼ合意した。
 4 月 12 日、第 14 回口頭弁論。今回から右陪席が交代し、裁判体が変更になったため、更新弁論がおこなわれ、第 18 〜 21 準備書面があらためて陳述された。木村庸五弁護士(書面 19)は、憲法訴訟の意義、多数決原理にそぐわない少数者の利益の「防火壁」としての政教分離原則について陳述。土田元哉弁護士(書面18)は、天皇即位を祝う「国民祭典」が、宗教性と動員の機能を濃厚に持つ儀式であり、民間式典と言いながら明確に国が関与したものであることを問題にした。浅野史生弁護士(書面 20、21)は、天皇制イデオロギーの歴史を整理し、それが社会的タブーを組織し、政治的弾圧を招いていることを批判、あわせて政教分離訴訟における論点を再確認した。
 その後証拠調べに移る。人証に関しては、原告本人は 2 期日、弾圧当事者 2 名は採用せず、専門家に関しては補佐人としては採用せず、証人としては後日弁護団から提出予定の書面を見てから判断する、ということになった。