即位・大嘗祭違憲訴訟の会のニュース21号です。
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即位・大嘗祭違憲訴訟判決言渡し
秒殺判決、憲法判断なし、内容なし
1 月 31 日(水)、「即位礼・大嘗祭違憲訴訟」東京地裁判決が第 103 号法廷で言い渡されました。判決は秒殺ともいえる、ほんの数秒で片付けられてしまいました。「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の自己負担とする」、以上。時間にして 5 秒もかからず、3 名の裁判官はさっさと退場。報道向けの映像撮影の時間の方がよっぽど長く、まさに吐き捨てられたような判決でした。これが 5 年も闘ってきた結果か、と思うと疲れがどっと出る一時でした。
それでも判決内容を注意深く読めば、憲法判断などが少しでも次の足掛かりとなるものが残されているかとの期待も見事に裏切られて、読むだけ損したような内容無し、憲法判断もなしの空っぽ判決でした。判決要旨を記者会見用にコピーに走りましたが、コピーする価値もないような残念判決でした。1 か所を抜粋すると以下の通り。
「政教分離原則を定める憲法の規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、私人に対して信教の自由を直接保障するものではなく……国家と宗教との分離を制度として保障することによって間接的に信教の自由の保障をしようとするものであって……、政教分離原則に違反した国の行為が直ちに私人の信教の自由を侵害したということもできない……」
何とも煙に巻かれたような、何を言いたいのかも不明な空っぽの判決でした。
この 5 年間、主張するのは原告側ばかりで、被告の国側は、何も言わない、何もしない、主張すらしないが一貫していました。原告側の準備書面は毎回 100 頁を越える超大作。しかし被告側はほぼ準備書面を出さない。出しても紙ぺら 1 枚か 2 枚のお粗末なもの。「この点は争う」と被告側は準備書面には書きながらも、争った形跡すら残しませんでした。原告の本人尋問にも、何一つ反対尋問すら一言もなかった。被告側代理人はただ座っていただけで、「追って書面で回答します」と言うだけ。まともな回答をしないまま、だんまりを通しました。あの何もしない余裕の態度は、どうせ裁判官が、さっさと却下してくれるだろうから、何もしないのが一番、と高を括った態度でした。被告側の代理人の希望通りに、裁判所は憲法判断すらしませんでした。まるで被告国と裁判所で申し合わせたような見事な連係プレーを疑うのは私だけでありましょうか。この国の司法の独立はいつから葬られてしまったのか。三権分立ならぬ、三位一体になってしまったのか……。
裁判所前に出された垂れ幕は「不当判決弾劾!」「控訴審で闘おう」。準備していた通りが役に立ってしまった何とも言えない悔しさを胸に、控訴審の委任状を整理しました。見通しが全く見えなくとも、これでやめるわけにはいかないのです。おかしいことをおかしいという人がいなければ、おかしいことが認められたことになってしまうのです。当日の報告集会は 30 名以上の原告たちが熱い論議を交わしました。同じ不屈の思いを込めた控訴委任状が一つ一つ届くごとに、思いを共にする人々との繋がりにとても励まされました。と同時に亡くなられたあの方、この方の原告の名前を見る時に目頭が熱くなりました。委任状を出すことが許されなかった名前を見るたびに「私の分も頼んだよ」と言われたように思いました。
控訴審に良き足掛かりを残せることを祈って、聖書の一節に思いを託して終わります。
「これらの人たちは信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました」(へブル人への手紙 11 章 13 節)。