即位の礼・大嘗祭違憲差し止め訴訟_訴状

訴  状
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2018年12月10日
東京地方裁判所 御中

原告ら訴訟代理人弁護士  木 村 庸 五
同       加 島   宏
同       一 瀬 敬一郎
同       大 口 昭 彦
同       藤 原 真由美
同       植 竹 和 弘
同       川 村   理
同       南   典 男
同       森 川 文 人
同       浅 野 史 生
同       井 掘   哲
同       酒 田 芳 人
同       吉 田 哲 也

当事者の表示 別紙原告目録、原告訴訟代理人目録および被告目録記載のとおり

即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求事件

訴訟物の価額 2061万円
貼用印紙額 8万3000円

 

第1 請求の趣旨

1 被告は、原告番号1ないし13との間で、別表記載の即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式のために国費を支出してはならない。
2 被告は、原告ら各自に対し、それぞれ金1万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済みまでいずれも年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。

第2 請求の原因

1 当事者

(1)原告ら
 原告らは、日本国の主権者であり、または、納税者である。

(2)被告
 被告は、別表記載の即位の礼及び大嘗祭関係諸儀式(以下、「本件諸儀式」という。)を行う主体であるが、自らが主体となって行う全ての行為について憲法上の制約に服するものである。

2 天皇の退位と次期天皇の即位、本件諸儀式のための支出の決定

 2016年8月8日、天皇は、ビデオメッセージにより、国民に対し、広く自ら退位する意向を有している旨を表明した。
 その後、天皇の退位等に関する皇室典範特例法(成立:2017年6月9日、公布:2017年6月16日)により、2019年4月30日をもって天皇が退位し、同年5月1日をもって皇太子が次期天皇に即位することとされた。
 これを受けて、被告は、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」などの会議体による議論を経て、本件諸儀式を執り行うこと、および、本件諸儀式のために公金を支出することを決定した。

3 即位の礼・大嘗祭諸儀式・行事の内容

(1)従前の諸儀式について
 現在の天皇が即位するに際して行われた、即位の礼・大嘗祭等の一連の諸儀式として、具体的には別表記載の儀式等が行われた。これら儀式の様子は、当時のグラフ誌等においても詳細に報道がなされている(甲1・毎日グラフ別冊「平成の大礼」)。
 今般、行われようとしている諸儀式は、これらの儀式を念頭において、基本的にはこれらを踏襲して行われるものとされている。

(2)退位の礼
 退位の礼は、「日本国及び日本国民統合の象徴である天皇陛下の御退位に際し、天皇陛下の御退位の事実を広く国民に明らかにするとともに、天皇陛下が御退位前に最後に国民の代表に会われるための式典」とされ、具体的に挙行される式典の名称は、個別の式典が「儀」と称されていることを踏まえ、「退位礼正殿の儀」とされる予定であり、その実施日は2019年4月30日とされている(甲●・天皇陛下の御退位に伴う式典についての考え方)。

(3)大嘗祭
 大嘗祭に関しては、「大嘗祭の挙行については、「「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について」(平成元 年12月21日閣議口頭了解)における整理を踏襲し、今後、宮内庁において、遺漏のないよう準備を進めるものとする」との決定がなされている(委員会決定)。
 その上で、従前の代替わりの際になされた閣議了解において、「大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり,天皇が即位の後,初めて,大嘗宮において,新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって,みずからお召し上がりになり,皇祖及び天神地祇に対し,安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに,国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である」とされている(甲●・閣議了解)。

(3)即位の礼
 次期天皇の即位に際して行われる即位の礼は、剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀、即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀の儀式と、内閣総理大臣夫妻主催晩餐会の行事から成るとされる(甲●・天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典の挙行に係る基本方針・委員会決定)。
 それぞれの儀式のうち、主なものの概要は、下記のとおりである。

① 剣璽等承継の儀
 「御即位に伴い剣璽等を承継される儀式として、剣璽等承継の儀を行う」、「剣璽等承継の儀は、皇太子殿下の御即位の日(5月1日)に、国事行為である国の儀式として、宮中において行う」とされる。

② 即位後朝見の儀
 「御即位後初めて国民の代表に会われる儀式として、即位後朝見の儀を行う」、「即位後朝見の儀は、剣璽等承継の儀後同日に、国事行為である国の儀式として、宮中において行う」とされる。

③ 即位礼正殿の儀
 「御即位を公に宣明されるとともに、その御即位を内外の代表がことほぐ儀式として、即位礼正殿の儀を行う」、「即位礼正殿の儀は、御即位の年の10月22日に、国事行為である国の儀式として、宮中において行う」とされる。

④ 祝賀御列の儀
 「即位礼正殿の儀終了後、広く国民に御即位を披露され、祝福を受けられるための御列として、祝賀御列の儀を行う」、「祝賀御列の儀は、即位礼正殿の儀後同日に、国事行為である国の儀式として、宮殿から皇太子殿下の御在所までの間において行う」とされる。

⑤ 饗宴の儀の儀式
 「御即位を披露され、祝福を受けられるための饗宴として、饗宴の儀を行う」、「饗宴の儀は、国事行為である国の儀式として、宮中において行う」とされる。

⑥ 内閣総理大臣夫妻主催晩餐会の行事
 「即位礼正殿の儀に参列するため外国から来日いただいた外国元首・祝賀使節等に日本の伝統文化を披露し、日本の伝統文化への理解を深めていただくとともに、来日に謝意を表するための晩餐会として、内閣総理大臣夫妻主催晩餐会を行う」、「晩餐会は、即位礼正殿の儀の翌日に、内閣の行う行事として、東京都内において行う」とされる。

4 即位の礼及び大嘗祭諸儀式の実施に関する手続き

(1) 現皇室典範の施行
 従前、大日本帝国憲法に根拠を有する旧皇室典範と登極令が廃止され、その後、現在の皇室典範が、日本国憲法施行の日から施行され、現在に至っている。
 現行の皇室典範は即位の礼について定めるのみであり、登極令はすでに廃止されている以上、即位の礼を除いては、諸儀式を執り行うことができる規定も、執り行われなければならないとする規定も存在しない。
 そうすると、本件諸儀式は、それを実施すべき明文の根拠を欠いた状態で、実施がなされようとしているということになる。

(2) 憲法2条の規定
 憲法2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定める。ここで、皇位については、憲法上、明文で「皇室典範の定めるところにより」とされているにもかかわらず、今回の天皇の退位に関しては、皇室典範の改正によらず特例法の制定によりなされようとしているものであって、憲法2条に定めた手続きに違反して天皇の退位がなされようとしていることになる。

5 主権者としての地位(国民主権原理)の侵害

(1) 国民主権原理
 憲法前文は「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と定め、憲法1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と明記している。

(2) 上記諸儀式の宗教性および国民主権原理違反性
 上記諸儀式のうち、大嘗祭が宗教性を帯びたものであることについては被告も前提としているところであり、争いがない。退位の礼および即位の礼においては、その儀式において剣璽(いわゆる「三種の神器」のうち剣と勾玉のこと)が用いられること、退位の礼および即位の礼の中で行われる諸儀式が一体のものとして行われることを考えると、全体として宗教性を帯びた儀式であることは明らかであって、政教分離原則、思想信条の自由、信教の自由等の憲法の諸原則乃至人権規定などに違反することは明らかであるが、この点は後述する。
 そして上記諸儀式のうち、退位の礼および即位の礼は、総理大臣をはじめとした参列者が、「天皇陛下に感謝を述べるとともに」、「天皇陛下から国民に対しておことばを賜る」ものである(甲●・考え方)。このような考え方は、本件諸儀式全てにおいて共通するものであるところ、これは、天皇を国民よりも明らかに上位の存在として位置付け、天皇を権威付ける形で行われるものであり、上記(1)で述べたように天皇が国民主権原理のもとに存在するとした日本国憲法に反したものである。

 したがって、これら退位の礼、大嘗祭および即位の礼は、国民主権原理に違反したものであることは明らかである。

6 本件諸儀式の差止請求における納税者基本権

 原告らは、「1 当事者」の項において述べたとおり、いずれも納税者としての地位を有する者である。
 かかる納税の点について、憲法第30条は「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」と定めている。
 日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、三権分立、地方自治等の憲法諸原理を前提としているところ、法の支配の原則のもと、納税者は自己の納付した租税が憲法の法規範原則にしたがって使用されることを前提に、その限度で、かつ憲法の法規範原則にしたがってのみ納税義務を負うという主観的な利益あるいは権利を有する(納税者基本権)。
 そして、租税の使途面においても法の支配が及ぶことは当然であるから、違憲の国費支出がなされようとしている場合、及び、すでにそれがなされた場合において、納税者は上記の主観的権利たる納税者基本権が侵害されようとしていること、あるいは侵害されたことを理由にその予防あるいは回復、具体的には①違憲な国費支出行為がなされようとしている場合にその支出を差し止め、②違憲な国費支出後にあってはその支出行為が違憲であることの確認を求め、③さらに被った損害の賠償を求めて司法上の救済を求めることができる(憲法第32条)。
 納税者基本権は憲法上の根拠を有する実定法上の具体的権利(憲法32条、第90条等)であって、納税者が上記の司法の救済を求めて提訴した場合、それは納税者と国あるいは公共団体との間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって、「法律上の争訟」(裁判所法第3条1項)に該当する。

7 政教分離違反

(1)政教分離原則の趣旨
 日本国憲法の政教分離規定(20条1項、3項、89条)は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき国家神道を形成し、国民の信教の自由のみならず、思想、良心の自由が大きく侵害される等の深刻な弊害を生じたことから、国家と宗教との絶縁をはかるために設けられたものであって、その任務は、思想・良心及び信教の自由を国家の政教癒着的行為による侵害から守ることにある。
 
政教分離の目的は、それに加え、政府が特定の宗教と結合することにより生じる政府の破壊、腐敗を防ぎ、政治と宗教との結合の結果生じる宗教の自主自発性の侵害を防ぐことにある。政教分離違反の成立には政府の直接的な強制の存在は不要であり、信教の自由に加えて政教分離原則が定められている趣旨は、強制の場合は明らかに信教の自由の侵害とされるが、強制の要素がなくともあるいは直接的侵害がなくとも政治と宗教との結びつき自体を防止しようとする目的のためであり、政府と宗教との結合自体が政教分離原則違反に該当するとするものである。人間の外的条件をより豊かに整えるという政府の務めである課題をなおざりにして宗教を使ってその政策の不備の穴埋めをしたり覆い隠したりするようなことが、政教の結合の結果、横行しやすいし、政教の結合自体が信教の自由侵害を生み出す土壌を作り、信教の自由に対する具体的脅威となり、遂にはその侵害に至るからである。信教の自由の侵害が実際に起きるまで、法は手をこまねいて放置するものではないということを表明したのが政教分離の原則である。

(2)政教分離原則の解釈
 政教分離を「制度的保障」であるととらえ、政教分離違反は直ちに個人の信教の自由の侵害にはならないとして、政教分離違反が認められる場合でも、個人にはそれを理由として訴える「原告適格」は認められないとする見解が従来から存在し、政教分離訴訟で国側が繰り返し主張してきたところではある。この見解によれば信教の自由の保障に支障さえなければ、国家と宗教との分離を厳格に考える必要がないとする。
 
しかし、このように信教の自由と政教分離を切断し、両者の次元の相違を強調する考えは、かつて政教の結合の結果もたらされた思想弾圧、宗教弾圧の苦い経験から憲法に政教分離の原則が定められた趣旨をないがしろにするものであり、憲法の効力を制限し、実効性なきものとする解釈と言わざるを得ず、裁判所は、憲法の番人、人権の砦として、憲法に定めた政教分離が実際に実現されるように法を適用し、政教の癒着を止める判決をしなければならないのである。明文で定めた憲法の趣旨を曲げて、これを適用することを妨げようとする解釈をとるのは、裁判所の裁量を越えているといわざるをえない。ましてや、政教分離の原則に違反する政府の行為に対して訴えを提起している個人に対して「原告適格」がないなどとして、憲法違反行為を国民が是正しようとする途を裁判所が閉ざしてしまい、裁判所自ら行政に対するチェック機能を放棄するのは許されないことである。
 
本来、信教の自由の保障と政教分離の原則は、統一的にとらえるべきものであり、両者を不可分の関係にあるものであることを忘れてはならない。信教の自由を反面から保障するものとして、宗教と国家の分離が定められている。国家が特定の宗教とむすびついて他の宗教を圧迫することは、歴史において著しく悲惨な結果をもたらしてきたところであり、信教の自由の確立には国家と宗教の分離が確保されることが不可欠である。日本においては、国家神道による国民の精神的支配を通じて歴史が歪められた経験から、政教分離原則を厳格に貫くことの重要性を強く意識して定められたのが現憲法の政教分離規定である。政教分離は、自由を補完・補強するものであり、政教分離を厳格に適用することはそれ自体独自の意義が与えられているのである。それは、国家が特定宗教と結びつくことにより、直接的強制が生じる前から間接的圧迫を及ぼし、ひいては、直接的支配に発展していくことをせき止める役割を果たすものである。しかも、権力を有する国家が特定の宗教と結びつくこと自体が、他の宗教者や宗教を持たない者に対する大きな脅威となり苦痛となることは、明らかである。政教分離違反の行為は、国民に対する強制の要素が伴うか否かを問わず、間接的圧迫を伴い、その圧迫は間接的であるからと言って決して弱いものではないのである。なぜなら権力組織である国家が特定の宗教と結びつくことは、他の宗教者や無宗教者に対して大きな不安と恐怖を及ぼすものであるからである。
 
憲法の基本的人権のなかには、信教の自由とともに政教分離も含まれている。人権規定である憲法20条に政教分離原則も定められている。国や地方公共団体が宗教活動に公費を支出することを禁じた憲法89条も、統治の機構のあり方を規定する人権規定としての性質をもっている。日本の政教分離原則の母法であるアメリカ合衆国連邦裁判所も政教分離をそのように理解している。国の威信を背景にした宗教が存在すること自体が、良心の自由を大切に思う人々にとっては耐えがたいことなのである。信教の自由に劣らず政教分離が強調されなければならないゆえんである。
 
政教の結合による間接的な強制的圧力からの自由こそが、信教の自由に加えて政教分離によって保障とした人権なのである。政教分離規定は、信教の自由を強化し拡大する人権保障規定にほかならないのに、これを直接的強制がないから適用されないとするのは、憲法を歪めて解釈するものであり、そのような解釈は是正されなければならない。
 
国家と宗教の関わり合いが一定程度許容されるとしても、その程度は厳格に判断されなければならない。この点、①問題となった国家行為が,世俗的目的を持つものかどうか,②その行為の主要な効果が,宗教を振興し又は抑圧するものかどうか,③その行為が,宗教との過度の関わり合いを促すものかどうか,という3要件を個別に検討して,その1つでもクリアできなければ同行為を違憲とするとの基準(レーモンテスト)を用いるべきと解するのが相当である。

 なお、津地鎮祭事件の最高裁判決(最大判1977年(昭和52年)7月13日民集31巻4号533頁)が呈示する目的効果基準は,上記レーモンテストを模しているものの,上記③の過度の関わり合いの基準は採用せず,③要件の個別検討もされず,判断要素につても,行為者の主観や目的等の主観的要素,一般人の宗教的評価これに対する影響等の社会通念に基づく要素(いわば多数者の視点による)を加味していることから,妥当ではない。そもそも,国家が一定の宗教行為について政教分離原則を緩やかに解して国家がこれに関与することを認める方向に目的効果基準を用いることは,政教分離の趣旨に反するものである。日本の裁判所は、国家と宗教との関係を厳密に制限するための米国において適用された基準である目的効果基準を制限を緩めるための道具として利用している。国家の関与を認める宗教行為とそうでない宗教行為を,行為者の主観や目的等の主観的要素,社会通念などを理由に,国家が選別すること自体、国家が宗教問題に介入することになり政教分離の趣旨に反することとなるので,これについては裁判所の判断も自制すべきものである。多数者の観念に左右される「社会通念」によって国家が関与しうる宗教を裁判所が選別できるとすれば,多数者の宗教を裁判所が社会通念として認定し、国家が特定の宗教と結びつくことを許容することになり,多数者の意志によっても奪うことができない基本的人権を裁判所は守ることを放棄することになる。

(3)政教分離原則下において、本件諸儀式を行うことの可否
ア 本件諸儀式について
 本件諸儀式のうち、大嘗祭は、戦前においては、天皇が神になる儀式であると理解されていた。これに対し、政府は、本件大嘗祭について、「稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が、即位の後初めて大嘗の宮において新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、自らもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。」との公式見解を発表している。上記政府見解によっても、天皇が天神地祇や皇祖神といった超自然的存在と交流できる存在であり、その交流によって日本国及び日本国民の繁栄があるという日本国と日本国民の成り立ちに関する宗教的観念、神話的イデオロギーに根差している。大嘗祭は、宗教的象徴行為であるため、これが公的性格の儀式として挙行されること自体によって、国民の精神領域に上記宗教的観念ないし神話的イデオロギーを流布、伝達する効果を生ぜしめる効果を持つ。また、宗教的儀式に対する公金の支出により特定の宗教と国家との公的結びつきを作るこれらの儀式の実施は、それ自体が大きな影響を及ぼす性質の行為であり、直ちに政教分離に明確に違反するものであって、裁判所はそのような公金の支出を違憲と判決すべきである。むしろ、いかなる影響・効果を与えるかを吟味するまでもなく、宗教行事を国家自らが行うという一事をもって憲法違反となるものである。これは国家による特定の宗教への過度のかかわり合いであることは明らかである。
 
これら儀式は、明治政府による宗教利用施策において定められ行われたことを踏襲しようとするものにすぎず、これは伝統でも習俗でもない。仮に伝統や習俗的な要素があるとしても、宗教的性格が明白である限り、現行憲法はこれに国家が関与することを排除しているものと解すべきことは明らかである。
 
また、即位の礼の性格も、次の事実に則して判断すれば、大嘗祭のそれとほぼ同様であるということができる。
① 天孫降臨を模したとされる高御座を設け、三種の神器を供える等、天皇が神の子孫であり、神話的権威を有する存在であることを儀式の骨格にしている。
② 天皇は、出席者に対して終始極めて高い位置にあり、三権の長に向き合い、その万歳三唱を受ける等、憲法の規定する天皇の地位を超えた主従関係がみられる。
③ 旧憲法下の登極令そのままに、宗教性が明白な大嘗祭の諸儀式・行事と一連の日程で挙行され、会場の設備、天皇等の衣装において、伝統を強調するなどしている。

 したがって本件諸儀式は、前記のように、日本国の成立、存続、体制について神話的な説明、再現を行い、天皇の行う国家神道儀式を媒介とした国民と超越的存在との結びつけを意味するものであり、被告がこれを国家行事として執行することは、上記宗教的観念の承継を皇室内部に止めず、日本国民全体に流布、伝達するものと評価できる。
 この場合も、いかなる影響・効果を与えるかを吟味するまでもなく、宗教行事を国家自らが行うという一事をもって憲法違反となるものである。

イ 違憲性
  本件諸儀式が公金により執行されることとなれば、国家によって原告らの宗教的活動をされない自由(20条3項)、国家によって自己の支払った租税が宗教上の組織もしくは団体に支払われない自由(89条前段)が侵害されることが明らかといえる。
  侵害が直接的でないとしても、本件諸儀式によって、信教の自由の一つとしての、信仰に対して政教融合による間接的な制限、圧迫及び干渉を受けない原告らの権利を侵害されることとなる。
 さらに、たとえ直接的な侵害がなくとも、政教分離違反行為による間接的侵害は、政教分離原則にもとづいて憲法違反とされるべきものである。
 本件諸儀式の執行はまさしく国家神道に基づく宗教儀式を国家が挙行するものとして、「宗教的行為」に該当することは明らかである。そしてかかる行為に対する公金支出は、憲法89条前段に抵触する。

 さらに、本件諸儀式については、以下の点を特に指摘する。

(1)本件儀式の持つ宗教的色彩が濃密であること
(2)大嘗祭は新天皇に神格を与えるという極めて明確な宗教的儀式であり、その儀式の内容を知る国民、他の宗教者、無宗教者らがその儀式の執行により受ける圧迫感はきわめて大きい。
(3)権力を保有する政府が、特定の宗教行為に公金を支出するという政教分離違反があれば、原告らに対して、思想良心の自由、信教の自由に対する大きな脅威・間接的な圧迫を与え、その侵害が起きているということが言える。

 宗教行事を国家自らが行うことに対しては、これを制止すべき役割は裁判所にあり、信教の自由の侵害への脅威や間接的圧迫を裁判所は制止しなければならない。

8 信教の自由の侵害

(1)信教の自由の内実
 信教の自由(憲法20条1項、2項)は、①信仰の自由、②宗教的行為の自由、③宗教的結社の自由を内容とする。
 信仰の自由の侵害は、単に自らの信仰ないし宗教的行為等を直接妨害することによって行われるものに限定されず、政府が、他の宗教を喧伝ないし強要することよって自らの信仰や宗教的行為の自由が間接的に妨げられることによっても生じうるものである。また信教の自由には、特定の宗教を信じない消極的な信教の自由も保障されており、無宗教者が国家によって特定の宗教を喧伝ないし強要されることや、行事や儀式への参加を強制されることによっても侵害されうる。

(2)即位の礼・大嘗祭を含む本件諸儀式が原告らの信教の自由を侵害すること
 この点、上記のとおり、即位の礼・大嘗祭を含む本件諸儀式が、国家神道儀式でありかつ天孫降臨の神話を具象化したものであることは明らかである。にもかかわらず、政府は、即位の礼(大嘗祭を除く)の本件諸儀式を国事行為として挙行し、大嘗祭についても宗教上の儀式であることを認めつつ「公的性格」があるとして宮廷費から支出することを決定している(甲●・2018年4月3日付閣議決定・天皇退位皇太子即位に伴う儀式に係る基本方針、甲●・同日付閣議口頭了解「大嘗祭の挙行について」)。

ア 信仰の自由の侵害

 このように、神道ないし日本神話という特定の宗教に基づく上記一連の儀式を国事行為として行い、或いは国費をもって賄うことは、国が事実上、上記神道ないし日本神話という特定の宗教を殊更に優遇し、かつ同宗教を国内外に流布喧伝するものであると言わざるを得ない。これによって、原告らのうちキリスト教、仏教等の他の宗教を信じる者は、単なる不快感にとどまらず、神道ないし日本神話こそが日本人の信ずべき宗教であるとの強い心理的圧迫を受け、原告らのうちある者は信仰を放棄し、ある者はその信仰の内実を変質させられる危険性がある。また、特定の宗教を有さない一般市民たる原告らに対しては、日本人であれば神道ないし日本神話を信ぜよという、心理的精神的圧迫を強いるものである。

イ 宗教的行為の自由の侵害

 さらに、神道ないし日本神話という特定の宗教に基づく上記一連の儀式が国家パレードさながらにテレビ、ラジオ、インターネット、SNSで拡散されて喧伝されることによって、原告らのうちこれと異なる自己の信じる宗教に基づく礼拝、祝祷、宗教上の祝典、儀式、行事、布教、儀式等の宗教的行為を行うことについて躊躇し、或いはこれらの宗教的行為を変容させられる蓋然性がある。事実、明治憲法下では国の機関として神祇官を儲けて神道を事実上国教化した結果、宗教団体は統合され、礼拝や儀式も、天皇を現人神とする神道ないし日本神話によって変質させられた歴史がある。
 また非宗教者たる一般市民の原告らにとっては、上記のテレビ、インターネット等を介して洪水のように流される国家パレードさながらの映像や情報にさらされて、特定の宗教に基づく上記一連の儀式に賛同参画することを強いられる蓋然性がある。
 今回、日本政府が挙行しようとしている即位の礼・大嘗祭を含む本件諸儀式は、明治憲法下で行われた宗教政策とほぼ同様の効果を有するものであって、国家として公金を支出してこれを挙行すること自体が国家神道の復活そのものである。

(3)小括

 以上のように、即位の礼・大嘗祭を含む本件諸儀式が、原告らの信仰の自由を侵害するおそれがあることは明らかである。

9 思想良心の自由の侵害

 大嘗祭や即位礼の公費による挙行は、現行憲法の国民主権の根幹を揺るがすものである。大嘗祭や即位礼の内容は、立法権、司法権、行政権の上に、天皇が、神格を与えられて君臨するとの思想を基礎にしており、あたかも天皇主権を肯定する大嘗祭の挙行は、国民主権と象徴天皇制のもとにある国民にとって、それを真っ向から否定するかのような儀式を公費で挙行され、現行憲法下にある国民として思想的に全く受け入れがたくこのような現行憲法の理念を著しく逸脱した宗教的意味付けを行う行為を国家が行うことを目の当たりにし、その国家主義的、天皇主権主義的な考えを権力を有する政府が肯定する現実を前に、原告らは、その思想と良心に対する強い圧迫感と侵害を感じるものである。

10 法益侵害の差し迫った危険の存在

 これまで述べたとおり、被告は、すでに本件諸儀式を執り行うことを決定し、具体的な日取りを設定し、そのための予算措置を取るなどして、本件諸儀式の実施を着々と進めている。被告が、このような本件諸儀式が執り行った場合、政教分離原則違反、信教の自由の侵害、思想良心の自由の侵害、納税者基本権、主権者としての地位(国民主権)の侵害などが生じ、かつその他の憲法規定の諸規定の重大な違反状態が生じることは明らかであるから、本件諸儀式の準備行為を進めることで上記各法益侵害等の差し迫った危険が存在していることは明らかである。

11 原告らの損害

 原告らは、被告が、本件諸儀式の準備を進め、すでに、本件諸儀式の準備行為として一部公金の支出を行なっているところ、これにより、政教分離原則違反、信教の自由の侵害、思想良心の自由の侵害、主権者としての地位侵害、その他の憲法規定の諸規定の重大な違反状態が生じ、原告らは精神的苦痛を被った。かかる違憲・違法行為によって原告らが被った精神的損害を金銭によって評価するならば、1人あたり金1万円を下らない。

12 違憲判断の必要性(憲法判断と裁判所の憲法秩序保障機能)

 裁判所は司法権を司る機関として、憲法を侵害する行為や憲法に違反する行為から憲法を守り、憲法による秩序を存続・安定させる機能があるから、かかる職責を果たすため、裁判所には憲法判断を行うべき義務がある。

 したがって、本件訴訟において、上記に述べた本件諸儀式の実施に際して生じる憲法違反の有無について、裁判所は自ら審査したうえで、その適否について判断を示さなければならないというべきである。

13 結論

 よって、原告らは、被告に対し、納税者基本権に基づいて、政教分離原則違反、主権者としての地位(国民主権)、その他憲法上の人権その他諸規定違反である本件諸儀式への国費の支出の差止めおよび、上記各権利の侵害又は諸規定の違反等によって原告らが損害を被ったことを理由として国家賠償法に基づく損害賠償を求め、本訴を提起するに至ったものである。

以上

証拠方法

  証拠説明書記載のとおり

添付資料

1 訴状副本       1通
2 甲号証写し     各2通
3 訴訟委任状    241通
4 資格証明書      1通