即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS No.24

即位・大嘗祭違憲訴訟の会のニュース24号です。
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天皇のこととなると物も言わせぬ
控訴審第 1 回弁論で一発結審の構え、裁判官忌避を申し立て

 今年 1 月 31 日に東京地裁で棄却判決を受け、2 月 14日に東京高裁に控訴。それから約 9 カ月後の 11 月 12 日に控訴審第 1 回口頭弁論が開かれた。控訴してからの 9 カ月は、産みの苦しみのような期間だった。弁護団は何度も会議を重ねて、あの粗末な地裁判決の欠点を指摘するべく控訴理由書をまとめ上げ 7 月 22 日に提出した。地裁判決の要点は、「政教分離は制度的保障であって人権保障規定ではない。だから信教の自由を直接保障したものではない。ゆえに政教分離に違反する行為があっても、直接信教の自由を侵害しない限りはただちに違法となることはない」というもの。「憲法違反も違法ではない」という変な理屈。しかしこの判例ですら、「直接に権利を侵害している場合は違 法である」としていることになる。また、直接に侵害していない場合であっても「ただちに違法であるとは言えない」としながらも「違法ではない」とは言っておらず、違法な 場合と違法ではない場合があることを前提としている。政教分離違反であっても、直接に侵害する場合であるかを厳密に調べて、もし直接に侵害しない場合であっても「違法」の場合と、「違法ではない」場合を判断しなければならないはず。このような段階的な判断を何らしないで、「制度的規定にすぎない」の一言で全てを無条件に棄却した。この雑な取り扱いを、控訴理由書では指摘した。それと同時に、戦前の宗教弾圧の事例を具体的に取り上げ「直ちに権利の侵害は認められない」とは決めつけられないことを立証するよう的を絞って取り組んだ。控訴代理人が提出した準備書面 1 は、50 頁に渡る膨大かつ詳細な論考。国家神道体制が果たした役割について、それがいかに個人の権利に実質的な被害をもたらしたかを例示した。これに対する被告(国)側の「答弁書」が 10 月 29 日に出たが、僅か 10 頁程のもので、「(控訴人は)原判決の判断内容に誤りがある旨 縷々るる 主張するが、その内容は、いずれも原審における主張の繰り返しか、あるいは、控訴人ら独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、それらの主張に理由がない」というもの。地裁判決を徹底擁護し、しかも、国家神道体制が宗教弾圧という権利侵害に至った歴史に対しても「原判決を左右するものではなく、認否反論の要を認めない」と片付けた。この人たちは歴史の反省は皆無なのだと思った。
 第 1 回口頭弁論は 11 月 12 日に定まり、控訴人側は、即日結審の可能性があるも、そうはさせないために、専門家証人の人証を要求し、控訴人の主張が続々と続く長期戦の準備をした。裁判所側は口頭弁論当日に 5 人の意見陳述を認め、それなりの時間は確保してくれたかに思えた……が。始まって見ると、その進行は何とも形式的。「では、次の控訴人」「次どうぞ」とビジネスライク。
 5 人の控訴人は、限られた時間の中で、即位儀式から受けた不条理を訴えた。記紀神話に基づく儀式を国家行事として公金を使って行う異常さ。たかだか 80 年の意図的に造られた習慣を、「古来からの伝統」として全市民を巻き込む理不尽。天皇のこととなると裁判でも訴えられない仕組みを作り出し、警察も尾行・嫌がらせ、何でもありとなる異常さ。大嘗祭においては天照大神が寝る布団、神々のためのスリッパに至るまで大真面目に神話儀式に公費を使うことがまかり通り、憲法違反も許されること。神道儀式においても、それを採り行う神職にとっては大事な宗教行事のはず。それを「社会的儀礼・伝統行事」として片付けてしまうのは、宗教者にとって失礼であること。政治的な権威を持たないはずの「象徴でしかない」天皇が、一度退位の意向を語れば、政府も国会も一斉にその意向をかなえるために動く異常さ。憲法違反を問う裁判も、天皇の儀式となると審議すらさせず門前払いとなる仕組みをつくるおかしさ。五人が意見陳述する主張は、この日本社会で大手を振るって行われている矛盾を暴露する重要なものだった。
 谷口園恵裁判長は、意見陳述が終わると、もうこれ以上は主張は不要だと片付けようとした。被告(国)側代理人に、「侵害利益が認められない以上、これ以上の意見も、立証も不要」と言わせ、裁判長も、「従前の主張の繰り返しに過ぎない」とし、結審に持って行こうとする。控訴側代理人は、そう簡単に結審に片付けさせてなるものかと、裁判官の忌避申し立てを行うが、裁判長は「もう結審を宣言した後だから、結審後の忌避申し立てを勝手にしたらいい」と譲らない。次回の日程も調整せずに、さっさと 3 人の裁判官は奥に逃げ込む。傍聴席からも、突然の結審に何が起こっているのかも分からない不満だけが残り、「不当だ」「おかしいぞ」との声が響いた。第 1 回目口頭弁論だけは、まあ控訴人の意見を聞いた体裁を形式上は採る。しかしもうそれ以上は何も言わせない。とても民主法廷とは程遠い、国家権力の鉄の扉を今回も痛感した。後は判決だけとなってしまった高裁。最高裁では口頭弁論さえ開かれない。天皇のこととなると、物も言わせない空気となる。日本の矛盾を象徴するような口頭弁論となってしまった。

(事務局/星出卓也)